勘十郎堀
江戸時代の舟運の地図を見ると、東北地方から江戸への舟運ルートの「那珂湊内海江戸廻り」の途中の要衝に鉾田の町があることがわかる。
このルート、涸沼(ひぬま)と鉾田の間は陸路で荷物の積替えが必要であったため、江戸時代に運河の掘削が計画されたが、失敗に終わり今は「勘十郎堀」と呼ばれている。
地形図を見ると、堀之内の集落の西側と大川の集落の西側に、台地の上を掘削した跡が残っているのが分かる。
涸沼が0メートル、台地上が30メートル、巴川の接続点10メートルなので、台地を20メートルも掘り下げて、涸沼の部分に閘門を設ける計画だったのだろうか。
舟運 那珂湊内海江戸廻り
http://www.ktr.mlit.go.jp/kasumi/rekishi/nakaminato.htm
茨城町のページ
勘十郎堀
http://business2.plala.or.jp/ibarakit/tekuteku/tekukan02.htm
マップ
http://business2.plala.or.jp/ibarakit/tekuteku/tekukan01.htm
国土地理院 地図閲覧サービス(試験公開)
下吉影 [北東] 堀之内と大川の西側
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=54402355&slidex=400&slidey=0
下吉影 [北西]
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=54402350&slidex=2000&slidey=1200
このルート、涸沼(ひぬま)と鉾田の間は陸路で荷物の積替えが必要であったため、江戸時代に運河の掘削が計画されたが、失敗に終わり今は「勘十郎堀」と呼ばれている。
地形図を見ると、堀之内の集落の西側と大川の集落の西側に、台地の上を掘削した跡が残っているのが分かる。
涸沼が0メートル、台地上が30メートル、巴川の接続点10メートルなので、台地を20メートルも掘り下げて、涸沼の部分に閘門を設ける計画だったのだろうか。
舟運 那珂湊内海江戸廻り
http://www.ktr.mlit.go.jp/kasumi/rekishi/nakaminato.htm
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勘十郎堀
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下吉影 [北東] 堀之内と大川の西側
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下吉影 [北西]
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